こぼれ話

ジャスティンビーバー|誕生からベイビーヒットまでの壮絶な過去

2017/02/21

ジャスティンビーバーの誕生

ジャスティンビーバーは1994年3月1日にカナダで生まれた。ジャスティンビーバー母パティはジャスティンを妊娠した当時17歳で、食べ物にも困るほど経済的に厳しい状態にあったので、国の運営する施設でジャスティンを生んだ。パティは、ジャスティンの父ジェレミーとは結婚しておらず、ジャスティンを自分の母親と義父の助けをかりながら、シングルマザーとして必死に育てた。

スポンサーリンク

ジャスティンビーバーの母、パティの過去

パティは幼少時代より義父から性的な虐待を受けており、その辛さから逃れるためアルコールやドラッグに溺れた。ジャスティンを妊娠した当時も精神的に過度に追い詰められており、自殺未遂をしている。パティは自伝で、周囲の人すべてがジャスティンを中絶する方向へ仕向けようとしたことについても言及しており、ジャスティン自身も「自分はアクシデントで生まれた子供」と認識している。

ジャスティンビーバーの音楽活動

ジャスティンは子供の頃からギターやピアノ、ドラムなどを自身で学んだ。パティは息子の才能に気づき、地元ののど自慢大会などに参加させ、12歳の時にジャスティンは地元の大会で2位の功績を収めることとなった。このころからパティは息子の歌を録画しYoutubeに投稿するようになり、ジャスティンの人気は瞬く間に広がった。

ジャスティンを発掘したマネージャーのスクーター・ブラウン

音楽レーベルの元関係者スクーター・ブラウン(現マネージャー)の存在なしにジャスティンの成功は語れない。当時マーケティング担当であったスクーターは、誰かいいアーティストがいないかYoutubeをあさっており、たまたまジャスティンの動画を発掘したのだ。スクーターは早速ジャスティンの母親パティにコンタクトを試みたが、最初パティはスクーターがユダヤ人であることから乗り気でなかっという。しかし、教会の人からパティへの熱心な説得の甲斐あって、ジャスティンは翌年スクーターとともにジョージア州のアトランタで修行することになり、2009年、ジャスティンが15歳の時、デビューアルバム”My World”を出すことになったのである。

スポンサーリンク

“ベイビー”の大ヒット

今でこそ、その名を聞かない日がないほど有名になったジャスティンであるが、デビュー当時の人気はそれほどでもなく、彼のファーストシングルの“One Time” はカナダのヒットチャートで12位、USのヒットチャートでも10位以内に入ることはなかった。しかし、そのあとリリースした、セカンドシングル“One Less Lonely Girl”は大ヒットし、セカンドアルバム“My World 2.0”で世界での地位を確固たるものとした。2010年1月にリリースした“My World 2.0”には、あの”ベイビー”が収録されており、USのヒットチャートBillboard Hot 100では、リリースからわずか2週間の間に5位にランクインした。翌年にリリースされたサードアルバム”Believe”では”Boyfriend”が大ヒット、”Never Say Never”では3000万ドルの興行実績を残した。

 

ギネス世界記録で8つの称号を収めるなど、今日では輝かしい活躍をしているジャスティンビーバーであるが、彼の成功の裏側には母の壮絶な苦労とジャスティン自身の努力ががあったことは忘れてはならない。

スポンサーリンク

-こぼれ話